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2020年02月

うさぎの察する力 -気配に気づくウサコッツ-

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妻とウサコッツがリビングで遊んでいた時のお話です。
ウサコッツ、私たちを群れの一員と思っているのか、どちらかが所用でいなくなると、いつもこんな感じでいなくなった方角を帰ってくるまで見ています。
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そして私が帰ってきても、リビングに戻ってくるまでは見ています。
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私はちょうど、洗い物とか洗濯をしていましたので、うろうろしていました。
すると、こんな感じで目があいます。
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用事が済んで戻ってくると、納得してリラックスします。
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一緒にはいてほしいけど、自由に遊びたい。
そんな主張が聞こえてきそうなウサコッツの日常でした。

改正著作権法が与える影響 -ネットからの引用はどこまで許される?-

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2020年2月現在、法案概要の取りまとめ中の改正著作権法ですが、わかりやすく図になっているものを転載いたします。

当初(2019年度)の文化庁の案
当時のニュース記事によれば、「権利者の許可なくインターネットに上げられたと知りながら漫画や写真、論文などをダウンロードすることを違法とする」法案とあり、このダウンロードの適用範囲があいまいであったことと、元々この法案提出の要因となった海賊版の漫画だったのですが、漫画家自体がこの法案を望まないと強く声をあげたことにより、法案提出は見送られました。

この最初の法案は、対象が違法DLサイトだけではなく、全ネットユーザーだったことと、個人のブログやツイッターにも一切の画像の引用を認めない内容でありました。


2020年度版 改正著作権法 -審議中の仮案-
下の図は2020年の1月末に出た日経新聞よりの抜粋です。

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■引用元:ダウンロード規制 法改正へ方針決定(日本経済新聞)

2020年1月7日に行われた著作権法改正に関する検討会の第3回会合では、上記のような内容でまとまりました。
この案では、対象範囲がこっそりと拡大されています。

前回の2019年の法案提出時に大きな批判を受けたので、2019年11月27日に開かれた文化庁の有識者会議では、著作権侵害物が付随的に含まれるスクリーンショットや、漫画作品のうち数コマのように分量の少ないダウンロードは違法としない案を議論のたたき台として示しました。

しかし今回の案では、ツイッターやFacebookなどのSNSからのダウンロードについても規制される一方、ストリーミング型の違法サイトからのダウンロードは対象に含まれていません。

今後のネットユーザーに起こりうること
今回の法案は、その範囲の規定が大変あいまいであり、恣意的な運用をしようと思えばできる内容です。
そしてツイッターなどのSNSに範囲が拡大されたことで、例えば面白い雑誌の記事を見つけて1ページを撮影し公開すると、これが違法という扱いになってしまいます。

好きな漫画の1ページを紹介したとしても同様です。

ですからこれからネットで何かを発信しようとすれば、気を付けないと、知らない間に違法な画像と認定され、最悪訴訟に発展する恐れがあります。

まだ法案は提出されていませんので、この内容は確定ではありませんが、今後注視していく必要がある法案だと思います。


■参考:「特別な事情」を対象外 DL違法化、著作権法改正案概要(時事ドットコム)
 ■参考:スクショ違法化の対象、「特別な事情」も除外へ 自民案(朝日新聞WEB)

【男の着物】 着物の選び方 -シーン別の格の違い-

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着物を着始めて日々調べながら着物を着ていると、着物にも格があって、それによってフォーマル度が変わってくることがわかりました。

図にまとめてみましたので、ご覧ください。
着物図

青い文字のほうが着物の種類になり、上に行くほどフォーマルになります。
オレンジ色の方は生地の種類で、右に行くほどフォーマルになります。

ですので、礼装の羽二重が最もフォーマルということになります。
では、それぞれ解説していきます。

着物の種類と格

礼装

現在の形の礼装が正式とされるようになったのは明治以降で、洋服が開国により入ってきたときに、外国人は礼装としてタキシードやモーニングがありましたが、日本にはそれまで明確な礼装はありませんでした。
礼装は各階級(士農工商)ごとに異なり、地方によっても異なったため、統一規格として「黒紋付羽織袴」を礼装と定めました。あえて黒を定めたのは、全国的に黒の礼装が正式とされる地域が多かったからと言われています。

またそこに「紋」を付けるのは、時代劇でもよく見るように、戦国時代より江戸時代にかけて家紋を大切にする文化があったため、これを礼装にも採用しました。
武士階級はもともとこの習慣がありましたが、家紋は江戸時代には町民階級にはない家が多く、明治時代に苗字とともに勝手につけたため、今採用されている家紋は根拠がはっきりしないものが多いようです。

この紋ですが、明治時代の太政官令で五つ紋が正装と定められました。そしてこの紋のなかでも「背紋」は特に重要視され、背後から近づく邪気やけがれをよけるための魔除けの意味も持っています。
黒紋付羽織袴
生地は羽二重のみとなります。


色紋付き羽織袴
「色紋付き袴」は黒に比べ、フォーマル度が落ちますが、葬式以外の式ごとにはすべて使えます。
ただ何着も礼装持っても使う機会がないので、黒がどうしても嫌でなければ黒を作った方が楽なようですね。



準礼装

ここは明確な基準はありませんが、生地は御召か羽二重、家紋はなくても良いのですが、「仙台平袴」を着用しているのが準礼装の条件のようです。
下のはAmazonで売っている、仙台平の袴です。
なぜ風を紹介したのかと申しますと、2020年現在では「合資会社仙台平」のみが製造しており、「仙台平」は同社の商号および商標となっていますので、他社のはすべて偽物といっては何ですけど、それに似せた袴となります。

この準礼装は、結婚式の披露宴やお茶会などに参加可能です。

略礼装

生地は御召か紬となりますが、ここで注意したいのは、御召の場合は柄でも無地でも略礼装に使えますが、紬は無地のみ略礼装となります。
他には羽織と袴をつけることが条件となります。

略礼装でも結婚式の披露宴やお茶会などに参加可能です。

お洒落着

女性でいう訪問着にあたります。男性の場合は、羽織と袴をつけることと、生地は紬クラス以上のものがお洒落義と言われるようです。

この服装では、食事会、気軽なパーティーや懇親会・二次会、正月の初詣で、新年会・同窓会、観劇などで使用できます。

着流し

着流しは袴も羽織も必要ありません。本当に普段着です。
生地も好きなものを着用してください。

ただし、季節によって着物の種類が変わります。
裏地のある袷(あわせ)は10月~翌年5月ごろ、単衣(ひとえ)は6月や9月の、季節の変わり目によく着られる着物ですが、夏も着られます。

そして浴衣。元々は室内着であって、戦国時代ころまでは湯上りにタオル代わりに着て汗を吸わせる目的で着られていましたが、江戸時代後期に銭湯文化が広がり、湯上りに浴衣を着る習慣が庶民にも広がります。
これが次第に夏の普段着として定着していきましたが、この文化は第二次世界大戦終結とともに急速に廃れ、現在ではお祭りでしか見かけることがなくなりました。

まとめ
男性の着物は、格としては今回分類したように、礼装2段階、略礼装、お洒落義、普段着と5段階に分類していると書いている人もいれば、礼装(黒紋付き袴)、略礼装(羽織と袴)、普段着の3段階に分類している人もいます。

そもそも男性の着物文化が女性に比べて圧倒的にシェアが小さいこともあり、資料自体も少なく、着物自体も売っていません。

その分、着物警察と呼ばれる古参も少なく、逆に最低限の知識さえあれば自由に着物を着てであるくことができると思いますし、ルールも女性に比べ大雑把です。

ですので、私のような初心者がいうのもなんですけど、TPOにあわせて楽しく着物を着れたら良いなと思っています。

ウサコッツの寝ぐせ?

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ウサコッツの画像を見ていましたら、なんだか寝ぐせっぽいのを見つけました。
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頭のところの凹みです。
これ、よく指先でなでていると残るんですよね。
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更に別角度。
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これなんか、濃い目に凹みに影がついていますので、わかりやすいですね。
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同じ日の同じ時間の写真ですが、角度によっては目立たないですね。
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今日はウサコッツの何でもない日常写真をご紹介いたしました。

「麒麟がくる」に出てくる稲葉山城(岐阜城)って、もともとは今の場所になかったんですって

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岐阜城(稲葉山上)は、「麒麟がくる」ですが、私たち岐阜県民は当たり前のように毎日見ていて、ずっとあそこにあるような気がしていましたが、実は場所が違うんですって、

最近読んだ城の本3冊に書いてあったのですが、そこにあった図を現在の地図に縮尺を合わせて重ねた画像を掲載してみます。
※画像はブログ管理人が作成しましたので、学術的に間違ってたらごめんなさい


まずこれが竹中半兵衛が占拠したと言われる稲葉山砦。
なぜ少数で占拠できたかの謎もこの図を見るとわかりやすいです。
稲葉山城
図の上の方に竹中邸という文字が見えます。
数個の砦が連携して城の役割を果たしていた稲葉山城の中で、竹中邸は稲荷山砦の真下にあるんですね。

稲葉山砦から見ると竹中邸は堀の役割をしていた梶川のすぐそばにあり、稲葉山砦までの距離は250mほど、標高233mですので、城の防衛線の内側に邸宅があったということになります。邸宅の位置からも重用されていた家臣の一人だと思われますので、斎藤家にしてみれば信頼していた家臣がいきなり反乱したという感じだったんでしょうね。

そしてこの図の場所、現在の地図に当てはめると、この位置なんです。
稲葉山城_2020

もう少しわかりやすく、位置関係を現在の地図で作ってみました。
岐阜と稲葉山

そして信長時代の岐阜城を現在の地図と重ねた画像がこれです。
画像の中にもしっかりと稲葉山砦という文字と、岐阜城という文字が見えるかと思います。
岐阜城2010
こうして地図で見ると、総構とよばれる町を城の中に取り込んだ形の城であれば、稲葉山砦のほうが確かに町の中心を威圧し、「御鮨街道」と呼ばれる道がその町の真ん中を通過していましたので、関所を設けるのにも都合がよかったように見えます。


そしてこの図を見てきっと突っ込まれるでしょう。
川の流れ違うじゃないかと。
でも、1890年の地図と重ねると、当時は川の流れは今より南北にうねっていたんですね。
岐阜城_1890

そしてこの図を見るとわかりますが、かつて信長が築いた岐阜城のふもとにあった御殿は「御鮨街道」の終着点付近にあります。

この図は街道の走行を示した図です。
「御鮨街道」が信長の館があったあたりを起点としているのがわかると思います。
街道

ですので勝手な想像ですが、斎藤家は町の実効支配を優先し、信長は館を街道の起点において、そこを中心に防御のしやすい、そして他国からも見える山の頂上に天守を築いたというのが実情だったのではないでしょうか?

NHKの「ブラタモリ」でもやっていましたが、実際に岐阜城の天守は濃尾平野のかなり距離が離れた位置からでも見えたようです。金華山は標高329mで標高233mの稲荷山よりも遠くから見えます。

防御の拠点であると同時に、街道を通る一般人をはじめ武家にも権勢を示す城、そんな城にしたくって、築城スペースが限られた金華山をあえて選んだんだと思います。

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